ある職場で働いていた時の話ですが、仕事の内容以上に人間関係がすごい職場で、そこで1年程働いたときにその症状がありました。あまりに怒られたり嫌味を言われてきたせいでストレスが許容量を超えてしまったみたいで病院で鬱と診断されました。
診断結果や自分がそんな病気になったことがすごくショックで更に落ち込み仕事を休みました。
職場環境が悪かったせいで、鬱といっても誰一人として心配をしてくれることもなく、むしろ迷惑そうな顔をされました。食事をするのもままならない状態で実家に帰ることになり、仕事を辞めました。
仕事を辞めたのは良いですが、そこから鬱が治るまで仕事をすることができずにお金の面でとても苦労しました。父はもうすでに退職していたので母の一馬力の力で養ってもらうのは本当に厳しくて困窮した生活が半年以上続きました。
何もかもうまく行かずにいろいろ辛かったですが、でも家族がお金がなくても一生懸命やりくりして、私のことを元気づけて支えてくれたおかげでなんとか半年ほどで鬱状態が大分回復しました。
なんとか今は働いており給与を稼げるようになったのですが、本当にあの時はしんどかったです。
今度からもう少し判断力を付けて、鬱になる前には仕事を辞めないといけないなということを学びました。本当に酷い職場のせいで酷い目に合いました。
鬱病で仕事を休職!生活できない。お金を借りたいけれど。
過度の労働、仕事のストレス、人間関係等が重なり、鬱病になりました。貯金はあったものの、ある事情から殆ど貯金額がゼロに、そして借金もあるような状態での矢先の出来事で、休職するよう医者から言い渡されてしまいました。
パートナーが居たので、入院はせず自宅療養と言う事になりましたが、それでも生活は悲惨なものでした。
すぐに会社の福利厚生で傷病手当の手続きをしましたが、手続きにかなりの時間がかかった為2ヶ月は傷病手当金も振り込まれませんでした。
始めの1ヶ月は何とか前月の給料でやっていけましたが、2ヶ月目からは給料は入らない上控除額だけ減り、給料明細はマイナス表示に…。
食事は、米がまだあるうちは、米を沢山食べて、おかずはなし。米と、安い店で買った卵で、具なしチャーハンを食べたり、きな粉を買ってきて(薬局で89円程)、柔らかく炊いた米を丸めておはぎにして食べたりしました。
米が無くなってしまった時は更に過酷でした。スーパーを渡り歩いて、一番安い店で焼きそばやうどんの麺を買ってきて、そのまま醤油で味付けして焼いただけの具なし焼きそばや、具なし焼きうどん。焼くのに飽きてきたら、調味料のコンソメを使ってスープ麺。
そんな生活を続けていたら、体重は1ヶ月で良くも悪くも10キロ近く減りました。日中は、病気のせいなのか、栄養失調なのか常にめまいがしていたので寝て紛らわしていました(起きてるとお腹も空くので無理にでも寝る)。
それでもやっぱりお金は無くなっていくものなので、家にあった家電を全て売ってお金にしました。車も持っていなかったので、パートナーと二人で一緒に歩いて運びました。
今思うと、かなり恥ずかしいですが、その当時は周りなんて見えなくて、生きる為に必死だったんだなと思います。
この経験は私にとってはかなり貴重な体験で、この経験があったからこそ学んだ事も沢山あります。
まず、傷病手当の始めの手続きには2ヶ月程時間がかかる。(当時勤めていた会社だけかもしれませんが)
もうひとつは、鬱病等の病気には、自立支援という制度があって、病院の治療費が減る。
そして何よりも、何があっても協力し合って助け合えるパートナーが側に居る事です。